あとがき
高橋順子さん、長身で寡黙なかたである。第二の詩集「凪」の栞に大岡信さ

んが書かれています。車谷長吉さんにはいまだお会いしたことがありません。

出会い
 澁澤龍彦「胡桃の中の世界」であったと思う。最後の謝辞の中に青土社の高橋

順子さんにお世話になったとあった。もしやと思い飯岡のご実家に電話をした。

お母様が出られて「どこかわけのわからない出版社にいる」とのお返事でした。

彼女が出版関係の会社に勤務していたことは知っていたので、間違いなかろうと

確信した。青土社に電話したところ、折良く彼女がおられて「どこにでもある名

前だものね」とのことでした。当時、青土社と言えば「ユリイカ」に続いて、わ

れわれの心を躍らす沢山の新しい思想を紹介する「現代思想」を出していた。田

舎のお母様にはわけのわからぬ出版社だったのかもしれない。

 彼女とは大学のサークルで一緒だった。美術サークルである。駒場祭や五月祭

に作品を出したり、シルクスクリーンなどをやっていた。わたしは比較的まじめ

な部員であったが、残念ながら私は高橋さんの描いた絵を一度も見たことがな

い。男子部員の話では、かなりの酒豪ということだった。ただこの情報も噂だけ

で一緒に飲んだことがないので定かではない。あの身の丈があれば、さもありな

んと想像するだけである。その頃同郷であることを知った。同郷の人間はその土

地特有の学校の呼び名とか、道路やお店の話など結構知っていて懐かしいもので

ある。

 駒場の時代は第2外国語の履修によってクラス編成がされていた。わたしはド

イツ語、彼女はフランス語でクラスが違っていた。本郷に移ってからも同じ文学

部に所属するものの私は「心理学」、彼女は「仏文科」ということでそれほど頻

繁に会うこともなかった。

青土社・70年代
 私たちの学生時代はそろそろマルキシズムに翳りの見えてきた時代である。大

学ではどの講義でもマルキシズムが延々と語られていた。パッペンハイム「現代

人の疎外」は必読の書だったのである。サルトルやルカーチを語るなかでもなぜ

かカミュに惹かれる世代でもあった。くしくも高橋さんの卒論はカミュだったそ

うである。フランスにおいては既に60年代から現象学、構造主義という名の下

にマルクス主義批判がおこっていた。日本では70年安保のに向けて日本国中の

学園が大揺れしていた。結果、厳しい公安のもとに学生運動は鎮圧され私たちは

敗北感一色のなかに、学業を開始したのである。一方では新しい形の反権力・反

体制運動として三里塚空港建設反対運動が激化していた。

 70年代に入ってこのヨーロッパの新しい思想が一度に流入し、押し寄せてき

ていた。そんな新しい思想をいち早く紹介していたのが「現代思想」である。書

籍部に行くとフーコーだのレヴィ・ストロースなど欲しい本が山のように並んで

いた。新しい道を開こうとしていた学生たちにとってはたまらなく魅力的な書籍

の数々である。

 青土社の創始者である清水康雄さん、青土社時代の競友であったとかの三輪利

治さんというかたが相次いで亡くなられたそうである(「貧乏な椅子」・高橋順

子)。一つの時代が去ったのかもしれない。

車谷さんのこと
 高橋さんからは新しい詩集が出る度に本が送られてきて、無粋な生活をしてい

る私には新鮮な喜びだった。あるとき、車谷長吉という売れないもの書きと結婚

したという知らせがきた。編集仲間のある方はこの知らせで飲みかけの盃を落と

したそうである。当の私はそういえば高橋さんもまだ独身だったんだと改めて考

えたくらいであった。食えないから連れ合いは会社勤めをし、自分も出版業を続

けるとのことでした。

   今度、お二人のページを作らせて頂くに当たって、私自身高橋さんの私生

活のことは全く知らないことに気づいた。いつか「博奕好き」を本屋で見つけ

て、多少の個人的な情報を初めて得たくらいである。一時競馬をやられていたと

いうので、またやらないかと声をかけたところ「忙しくて」ということだった。

彼女がこんなに忙しくなっていることに全く気づく由もなかったのである。その

あとすぐに「優駿」という雑誌に自ら書かれた「三輪山記念」という記事のコピ

ーをFAXで送って下さいました。細かい気遣いを忘れない方である。

蛇足ながら私のホームページ上,GI予想コーナーにある詩人とは高橋順子

さんのことである。いつも「オノデンモモコ」に◎が打ってある。いつか彼

女が一緒に印を付けてくれる日を待っています。

 その後、車谷さんから「金輪際」と「白痴群」を頂きました。「赤目四十八瀧

心中未遂」もそうであるが、ただ者ではないことを痛感した。彼の書いたものの

中に、時々「うちの嫁はん」が登場し、彼女の生活をかいま見られることは知人

として楽しいものである。私の読書は文学については谷崎や川端で止まってい

た。学生から村上春樹や中上健次をもらうこともあったが、数ページ読んでは放

り投げてある。車谷さんの小説を読み始めて、小説を読むおもしろさを改めて感

じている。

引っ越し
 高橋さんはやたら引っ越しの多い方である。趣味かと思ったほどである。私の

住所録は何回も書き換えられており、今はどこだっただろうと考えてしまうこと

もある。駒場時代は白金の女子寮にいたはずである。いつか新検見川の公団住宅

におられたことがあり、駅まで自転車を漕ぐ話をされていた。青土社にいたころ

だったかもしれない。その後新宿住吉町には比較的長くいたはずである。本郷に

移ってからはその界隈で移動されている様子である。最近お二人の本を読み合わ

せて、だいぶ納得のいく部分がでてきた。それにしても「武藏丸」のなかの千駄

木の家を買うくだりなど、最高に楽しい。

高橋さんとの思い出
 元来無口で静かな方なので、これと言った思い出はない。

いつか銚子の拙宅まで来てくださって、当時青土社から出版された大先輩吉原幸

子さんの詩集「夢あるひは・・・」をくださいました。帯のところだったと思

う。吉原さんの写真が掲載されていて、彼女が「格好いいでしょ」と言ったのを

憶えている。確かベッドの上で煙草に火をつけているものだったように記憶して

いる。

 あとは、神田の小宮山書店と書泉の間の小道を入ったところにある「ラドリ

オ」という喫茶店で待ち合わせたこともあった。銚子の川岸にあるレストランで

食事をしたとき、確かピラフを頼んだと思うが、フォークが付いてきて私が「こ

れスプーンの間違いじゃないかしら」と言うと「そうね」という一言が返ってき

たことを憶えている。

以上 小関八重子
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